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マヤ文明の遺跡を回ろう!メキシコ周辺で回れるマヤ遺跡10選

「マヤ文明」と聞いても、明確にどんな文明だかわからないですよね?マヤ文明とは、いわゆるメキシコ南東部、ベリーズ、グアテマラの「マヤ地域」で、1500B.C.頃から900A.D.までを繁栄期として、その後15世紀まで続いた文化です。

メキシコを中心にベリーズ、グアテマラをも含んだ遺跡巡りが出来るスポットをご紹介します。

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「マヤ文明」って?

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出典:足成

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出典:ラテンアメリカ博物館

まず、「マヤ文明」の歴史的背景をご説明します。マヤ文明は3000B.C.から15世紀まで続いた文明です。そのうち繁栄期は1500B.C.頃から900A.D.頃までで、その遺跡はメキシコ南東部からベリーズ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルにまで及んでいます。そのうち、世界遺産に登録されているところも8ヶ所あります。

「マヤ文化」は時代を考えると信じられないような高度な文化をもっていたそうで、チョコレートを作って食べていたり、アメリカ人が感謝祭に食べる七面鳥をこの時代に家畜化していた、ヒエログリフやカレンダーを作っていたとも言われています。

マヤ文明の遺跡は、未だにピラミッドや遺跡がジャングルの中から発掘されています。マヤ文明が滅んだ原因は、現在でも色々な議論が寄せられているところでもあり、その原因は、干ばつ、都市国家間の紛争や略奪、海岸部への移住、人口過剰などいくつかの説があります。

チチェンイツァ遺跡(メキシコ・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

メキシコの観光地で有名な「チチェンイツァ」とは複合都市の名前で、その中には大きな球技場があります。マヤ人は、この球技場で現在のサッカーに似た「ピッツ」と呼ばれる球技を行っていました。そのやり方はサッカーボール大のゴム製ボールを、ゴールに入れる代わりに、高い位置にある「輪」にくぐらせるというものでしたが、単なる娯楽ではなく、それには儀式的な意味合いがありました。負けたチームのキャプテン(勝ったチームという説もある)が、「生贄」となるのです。生贄は身体を「マヤブルー」と言われる青に塗られていたことがわかっています。メソアメリカの高温多湿な環境でも、長期間、風雨や生物的劣化に耐えるこの顔料は考古学者も注目しています。

ウシュマル遺跡(メキシコ・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

多くのマヤ遺跡は700年から1100年紀元500年頃に建設が始まったとされますが、このウシュマル遺跡は紀元500年には建設されていました。ウシュマルは、ユカタン半島西部地域で最強の勢力を持ち、東部地域では最強だったチチェンイツアと同盟を結んで、ユカタン半島のほぼ全域を支配してていた国家でした。この遺跡は保存状態も極めてよく、修復をすることで、マヤの華麗な壁面装飾の特徴である「プーク様式」が見事に再現されている、丸みを帯びた美しいフォルムの神殿です。

パレンケ遺跡(メキシコ・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

「パレンケ」は古典期(西暦300年~900年)に栄えたとされる、マヤ文化圏西部の古代都市で、「碑銘の神殿」と呼ばれ、1952年のピラミッドの発掘調査でパカル王の墳墓が発見され、一躍有名になりました。墳墓の中の石棺の中には翡翠色の仮面をかぶった王の遺体が安置されていたのです。値段がつけられないほどの価値のこの仮面は、メキシコシティの国立人類学博物館から窃盗団によってヘリコプターを使った大掛かりな方法で盗まれて、「まるで映画を見ているよう」と、再び話題になりました。現在は仮面は奪還され、再び博物館に展示されています。

カラクムル遺跡(メキシコ・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

カラクムル遺跡はユカタン半島の南部に位置し、マヤ遺跡屈指の巨大な遺跡です。写真を見てもお分かりのように、密林に囲まれています。カラクムルとは「蛇」の意味で、「カーン王朝」の首都で西暦500年代に勢力を強めました。現在の、グアテマラ、ベリーズ、メキシコの中では、グアテマラのティカルという王朝がもっとも勢力が強く、カラクムル(メキシコ)がカラコル(ベリーズ)と連携してティカル(グアテマラ)を倒し、政権を得、130年の間、この地を統治しました。しかし、のちにカラコル(ベリーズ)に再び政権を奪還されてしまいました。密林の中に顔を出す1号建造物(写真)は均整がとれていてとても美しいと評判です。

 

ティカル遺跡(グアテマラ・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

数あるマヤ遺跡の中でも最大級なのがこの「ティカル遺跡」です。このピラミッドの回りには古代都市の住居跡などが点在しています。綺麗に復元されているうえに、特徴的なのが、ピラミッドの最上部で、なんと「飾り屋根」が備え付けられています。高さは51メートルで上部の神殿入り口に「ジャガー」の像があったため、「ジャガー神殿」とも呼ばれています。他のマヤ遺跡の神殿に比べて傾斜がきついのが特徴ですが、現在、保存のため登るのは禁止となっています。

キリグア遺跡(グアテマラ・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

マヤ文化圏の南東、西暦400年代にこのキリグアに王朝が設立されました。このあたりは当初、現在のホンジュラスにある「コパン」という大都市が支配しており、キリグア最初の王はこのコパンの庇護のもとで王朝を築きはじめました。724年に誕生したキリグアのカック・ティリウという王はなんとコパンの王を殺害。これによりキリグアは勢力を拡大し、アクロポリスの建設等で都市を拡大・整備していきました。それと同時に王は自らの像を刻んだ石碑を次々に作らせたのです。その一つがこの石碑で、インターネットで話題になった「2012年に世界が滅亡する」という話の発端になった石碑もこのキリグアにあります

コパン遺跡(ホンジュラス・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

なにやら東洋的な雰囲気がする石碑があるのは「コパン遺跡」。西暦400年代にマヤ文化圏南東を治めていた王朝です。コパンの王は自らの姿や事績を石碑に掘らせましたが、写真は王の若い時の像のようです。同様の石碑はコパン遺跡内に7体ありますが、他のマヤ遺跡の石碑は石版に浅く浮き彫り程度に彫っているのに対し、このコパンのものは石を浮き彫り程度ではなく、「丸彫り」にしているところが特徴であり、力強さを感じます。この時代がコパンの最盛期で、技術的にも文化的にもすぐれており、専門家の評価も高い遺跡となっています。

ホヤ・デ・セレン遺跡(エルサルバドル・世界遺産)

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出典:ラテンアメリカ博物館

「ホヤ・デ・セレン」は、西暦590年頃に起きた火山の噴火で火山灰に埋もれた農耕集落の跡で、「中米のポンペイ」とも呼ばれています。火山灰の温度が低かったのか、家財道具や作りかけの食事までが残された遺跡となりましたが、ポンペイと違い、遺体が残されていないことが、大急ぎで避難した住人たちを想像させます。興味深いのが、写真右上の四角く穴の空いた物体で、これは「スチームバス」ではないかと言われています。この時代はいかに文化や美容法が進んでいたかを、伺い知ることができます。

ヤシュチラン遺跡(メキシコ)

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出典:ラテンアメリカ博物館

多くのマヤ遺跡は密林の中に埋もれていますが、このヤシュチラン遺跡も例外ではありません。ヤシュチランの歴史は古く、4世紀から9世紀にかけて栄えました。メキシコとグアテマラの国境を流れるウスマシンタ川のほとりにあるヤシュチランはボートでしか行けない場所にあり、「秘境」の雰囲気が漂っています。写真の「グラン・アクロポリス」と呼ばれる中心的な建物には芸術的にも高い評価があるレリーフや彫刻が残されています。神殿の回りには鬱蒼と苔むした石垣が積まれ、石版やレリーフも数多く残されており、そちらの芸術性の高さもマヤ遺跡の中でも1.2を争うと言われています。

カラコル遺跡(ベリーズ)

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出典:ラテンアメリカ博物館

グアテマラのティカル遺跡よりも大きなカラコル(Caracol)遺跡。カラコルはなんと西暦250年ころから都市が形成され始め、900年ころまで栄えたと言われており、長い歴史がある国家でした。他のマヤ遺跡に比べて幅が広い写真の神殿は「カーナ」と呼ばれ、「空の神殿」を意味します。幅が100メートル、奥行きが120メートルもあり、その土台の上に3つの神殿が乗っている形になっています。あまりに大きすぎて全体像を捉えている写真があまり残っておらず、全体像がかなり謎なのが話題となっています。

参考サイト:ベリーズ唯一の日本人エージェント
エイビーロード

おわりに

いかがでしたか?「なんとなく」知っていたけど、どんな文明なのかイマイチ知る機会もなかったマヤ文明。かなり個性的で進んだ文明だったのですね。チョコレートを作って食べていたり、あの時代にスチームバスにも入っていたマヤの人々。かなり文化的な生活をしていたと想像されます。知れば知るほど行ってみたくなりますね。

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