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システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂の魅力とミケランジェロとの関係性

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出典: ローマ短紀行

バチカン市国、あの有名なサン・ピエトロ寺院の北隣にあり、ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿の中にある「システィーナ礼拝堂」。ボッティチェッリ、ミケランジェロ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、ルネサンスの最盛期だった頃の画家が内装の装飾絵画を描いていることで世界的に有名な礼拝堂です。いったいどんな礼拝堂なんでしょうか?また、中でも一番有名な絵画とは?周辺のオススメスポットは?色々とご紹介致します。

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「システィーナ礼拝堂」はどこにある?

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出典: 旅行のとも

「システィーナ礼拝堂」はローマの中にある「バチカン市国」にあります。ローマはイタリアのちょうど中央あたり、市の中に市があるって、不思議な感じですね。バチカン市国の広さはちょうど「東京ディズニーランド」くらいです。(エクスピアリや駐車場は除く)。なお、「バチカン市国」は世界中に8億人いると言われている「カトリック」の総本山となっており、世界中から巡礼者がやってきています。

「バチカン市国」誕生の経緯

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出典:Weblio

ローマ法王(教皇)は現在でも世界中のキリスト教徒のカリスマと呼ばれるほどの権力がありますが、中世には、ヨーロッパ各国の国王よりも権力があると言われているほどで、北イタリアにローマを中心とした広い領土を持っていました。

日本の幕末の頃のイタリアは今のような統一国家ではなくて全土にそれぞれミニ国家が集まっており、バチカンもその一つでした。1870年にイタリア統一の動きがあり、イタリアの当時の国王によってローマ法王の領土も奪われてしまいました。

1922年に政権についたムッソリーニはバチカン法王の権力をイタリア統一に利用しようとしますが、法王はバチカンの丘に立てこもり、最後までイタリア王国と対立しました。そして1929年、「ラテラノ条約」が締結され、ローマの中に「バチカン市国」を作るということで決着したのでした。

「システィーナ礼拝堂」の位置は?

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出典: 旅行のとも

ローマの西部に位置する「バチカン市国」。その中でもほぼすべての観光客が訪れるであろう「バチカン美術館」。「システィーナ礼拝堂」はサン・ピエトロ広場とバチカン美術館の中間あたりに位置します。バチカン美術館のチケットを買うと、システィーナ礼拝堂も見学できるようになっています。

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出典:晩秋のイタリアぐるっと紀行

「バチカン美術館」は、世界最大級の収蔵数を誇る美術館で、イタリアを代表するダ・ヴィンチ、ラファエロ、ティツィアーノなど、有名な絵画を所蔵しています。その中でも最大の目玉がシスティーナ礼拝堂にある、ミケランジェロの「最後の審判」なのです。

ミケランジェロの「最後の審判」とはどんな絵?

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出典:大塚国際美術館で見られる名画

誰でも一度は美術の教科書で見たことがある絵ではないでしょうか?ミケランジェロ作「最後の審判」です。1535-1541年頃にかけて制作された、1370cm×1200cmのサイズにも及ぶ大作です。こんなに昔に描かれた割にはブルーの色が鮮やかでびっくりします。

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出典: 自由人

正面の「最後の審判」の他に、天井には「創世記」の9つのエピソードが順に描かれており、「天地創造」、「男女の創造と原罪」、「ノアの方舟」の3場面も同様に描かれています。

実は正面の「最後の審判」より、天井画のほうが先に制作されていたのです。

ローマ教皇クレメンス7世からこのシスティーナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」を描くよう依頼されたときは、ミケランジェロはなかなか制作に着手しませんでした。当時のミケランジェロは「彫刻家」を自認していたからです。しかし、次の教皇である、パウルス3世からも再びプッシュされて制作を望まれたため、天井画の完成から実に20年以上後になって、1535年、「最後の審判」の制作に取りかかりました。この時、ミケランジェロはすでに60歳だったといいますから、大変過酷な作業だったに違いありません。

もう一枚の有名な絵『アダムの創造』

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出典: Wikipedia

「最後の審判」と共に、美術の教科書にも載っているくらい有名な絵が「アダムの創造」です。1511年ごろの作品で、旧約聖書の創世記をモチーフにしており、フレスコ画で描かれています。ミケランジェロは堂内に足場を組み、助手もいましたが、助手の手際が気に入らずに、結局一人で作業をしていたと言われます。

なぜ、「彫刻家」のミケランジェロが描いたのか?

彫刻家のミケランジェロが壁画を描くようになったいきさつとは?

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出典:ハンカチほどの土地Vacicano

それでは、当時、「彫刻家」として大変人気があったミケランジェロがどうして、このシスティーナ礼拝堂の壁画や天井画を描くことになったのでしょうか?当時、サン・ピエトロ大聖堂の建築主任をつとめていた建築家ブラマンテは、このミケランジェロの人気が疎ましかったのです。

建築家ブラマンテの陰謀

それで、時の法王ユリウス2世にまだ、壁画を描いたことのないミケランジェロに「システィナ礼拝堂の壁画を描かせたらどうか」と進言したのです。ミケランジェロにまだ未経験の壁画を描かせて失敗させ、失脚させようと企んだわけです。いつの世にも意地悪い人がいるものです。もちろん、ミケランジェロは「自分は彫刻家であり、画家ではない」と制作を断っていましたが、法王にはそれを聞く耳がありません。

仕方がなく、ミケランジェロはバチカン宮殿の裏庭の赤土と黄土を掘り起こして幾度となくそれと水を混ぜたもので絵の具を作り、ようやく満足行くものが出来上がった頃、制作をはじめました。

寝そべり、見上げる過酷な姿勢での制作

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出典:ルネサンスのセレブたち

当初は助手がいたものの、それもやがて拒否。足場を組んで描いていますが、天井画を描くため、寝そべった姿勢の上、見上げる姿勢での作業のため、顔はペンキでモザイクのようになりました。しかし本来の芸術的センスと技術力で4年後には素晴らしい作品を完成させました。そして、本来、ミケランジェロは彫刻家であり、画家ではないと不本意ながら制作を始めたのですが、当時すでに大人気だった、ダ・ビンチやラファエロに並ぶ「画家」として認識されるようになったのです。

1日13,000人が入場する、大人気美術館の危機

この「システィーナ礼拝堂」には、1年間に500万人の観光客が訪れており、日割り計算すると13,000人もの観光客が1日にミケランジェロの壁画と天井画を鑑賞していました。これだけの努力をして完成させた作品なのですから、世界中からその大作を見に観光客が来てくれるのはありがたいのですが、観光客が運んでくる埃と二酸化炭素によって、フレスコ画が傷んでいるのが深刻な悩みなんだそう。その為、現在は「入場制限」という方法を取らざるを得ず、1日に鑑賞できる人の数は限られています。その為、個人で入場する場合などには、オンラインでの入場予約が賢明な方法です。

オンラインチケット:Vatican Museums

おわりに

いかがでしたか?バチカン市国一番の見どころである、バチカン美術館と「システィーナ礼拝堂」をご紹介しました。ミケランジェロが不本意ながら、壁画の制作を断りきれず、寝そべって、顔をペンキでどろどろにしながら描いている姿を想像すると、なんだか人間臭い一面が見えてきますね。やはり天才はただものではありません。

イタリア観光に行く際にはぜひバチカン市国にも立ち寄り、システィーナ礼拝堂の観光をしてみましょう。大人気の観光スポットであるため予約を取るのも大変ですが、その価値は十分にありますよ!

システィーナ礼拝堂で是非美しいミケランジェロの壁画と天井画を堪能してください。

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