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エーゲ海クルーズの寄港地「バチカン市国」の魅力:サンピエトロ大聖堂

パスポートのいらない、ローマのとなりにあるバチカン市国をご存じですか?キリスト教徒でなくても、誰もが訪問できる神聖な場所です。ここにあるサンピエトロ大聖堂という場所には、美といういうものを知り尽くした巨匠の芸術家の品が数多くあります。そして、この地で古くからの英雄たちが今なお存在している場所です。今まで味わったことのない感動を、このバチカン市国で味わってみませんか?

エーゲ海クルーズではチベタベッキア港に寄港する航路の場合は、この港からのオプショナルツアーなどでローマやバチカン市国を観光するプランを用意してくれている場合があります。また、フリータイムで十分な時間が用意されている場合には、自分でバチカン市国まで移動する手段もあります。港から1時間ほどの車移動で到着することもできます。ツアーで参加してしまうと、それぞれの観光スポットでの時間が区切られてしまいますので、時間をかけてみたい場所も足早に去る必要が出てくる場合もあります。もし予算が許されるようであれば、チベタベッキアから自分たちでローマ・バチカン市国へ移動して観光するようにしましょう。

本記事ではバチカン市国の中でも特に人気の観光名所であるサン・ピエトロ大聖堂についてご紹介して行きます。エーゲ海クルーズに行かれた際には、ぜひ足を伸ばしてサン・ピエトロ大聖堂の観光もしてみてくださいね。

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バチカン市国の南東端にある芸術家たちが残した建造物

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サン・ピエトロ大聖堂はバチカン市国にある世界最大級の教会の総本山です。建物は高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m、総面積は49,737m²で1626年に完成した2代目の大聖堂で、このサンピエトロ大聖堂は16世紀から17世紀にかけて作られました。

1506年設ブラマンテの設計で開始され、サンガッロ・サファエロと多くの建築家が関わってきたが責任者の死去などもあり、中々工事が進まず1535年ローマ教皇に主席画家・彫刻家・建築家を任命されていたミケランジェロが、1546年に継続中のサンピエトロ大聖堂の大改修を要請されました。

この時のミケランジェロは72歳になっていて、光栄な仕事だと無報酬で大聖堂の造営主任の仕事を引き受けました。
しかし564年大聖堂は完成する前に、死去してしまい出来あがったサンピエトロ大聖堂は見る事ができなかったそうです。

その後、カルロ・マデルノやベルニーニが引き継ぎ完成させたのです。建設では、ミケランジェロの設計を引き継いで建てられた中央の高いクーポラも見る事ができます。ミケランジェロの設計によって再建された建築は、内部の宗教的や芸術的価値もさることながら、建物自体とても美しい設計になっていて圧倒されるものばかりです。

~サンピエトロ大聖堂を訪れるにあたって~

•開館時間 :  1. 大聖堂:  07:00~18:30(10月~3月)
                   07:00~19:00(4月~9月)
        2. ドーム:   08:00~17:00(10月~3月)
                   08:00~18:00(4月~9月)
•入場料:   1. 大聖堂: 無料
        2. ドーム:  7ユーロ(エレベーターを利用した場合)
                   5ユーロ(階段を利用した場合)

聖堂右の階段下にあるサンピエトロ大聖堂のカウンターや階段上のアトリウム(玄関廊)で、そこでオーディオガイド(日本語あり)5ユーロで借りることができるそうです。(パスポートなどのID必要)

注意事項としては、ショートパンツやミニスカート、ノースリーブなどの肌を露出した服装では中に入れないのと、フラッシュによる写真撮影も禁止になるそうです。

初代ローマ教皇 聖ペテロ の墓

~聖ペテロという人物~

「新約聖書」に登場する人物で、イエス・キリストに従った12使徒のひとりです。イエス・キリストの弟子の中でリーダー的存在で、カトリック教会で聖人の称号が与えられました。

「天の国の鍵」をイエス・キリストから与えられたペテロは、初代ローマ教皇とする権威をカトリック教会から与えられた方なのです。

ペテロの本名はシモンと言い、イエス・キリストにはケファと言われていたそうです。この呼び名はイエス・キリストがペテロに「私はこの岩の上に私の教会を建てる」といったそうで、ケファとはヘブライ語で岩という意味でだったそうです。ネオの迫害によって逆さ十字架で殉職したのち葬られ、その上にサンピエトロ大聖堂が建設されたといわれています。

~イエス・キリストとペテロ~

一番弟子ともいわれていたペテロですが、イエス・キリストを裏切ってしまうんです。

あの有名な最後の晩餐のあと、イエス・キリストに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないだろう」とペテロに告げ、ペテロはそれを否定したが、翌日キリストが連行された時に周りから「おまえもイエス・キリストの弟子だろう」と言われ「ちがう」と何度も否定した。3度目に否定した時に鶏が雄たけびをあげ、その時にイエス・キリストの予言を思い出し涙したといわれています。

そして、イエス・キリストとの出来事はまだあったのです。ペテロはキリスト教徒の迫害が激化したロ-マから避難する時、亡くなったイエス・キリストがペテロとは反対のローマへと歩いていく姿をみて「主よ、どこへ行かれるのですか?」と尋ねるとイエス・キリストは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えたそうです。それを聞いたペテロは悟り、殉職を覚悟でローマへ戻ったそうです。

~ペテロのお墓~

聖ペテロはローマで殉職し、サンピエトロ大聖堂がお墓の上にあるとされ、1939~1950年に行われた発掘調査で1世紀頃の骨で、主は「金糸で縫い取された紫色の布(古代の王の色とされていた)に包まれ埋葬された60~70歳のがしりした男性で、ギリシャ式記念碑やその周りには墓参りに訪れた人々の落書きや、ペテロへの願い事が書かれたものがあり聖ペテロの墓とみられる場所が発見された。

68年には、法王パウロ6世が「聖ペテロの遺骨であると、納得のいく方法で確認された」と発表をしたが、DNA鑑定では確認できず本当にペテロのもなのか疑う声があるのと、歴史学的にはペテロがローマで殉職したのかは、確実な資料が残っていないので定かではないそうです。

遺骨については、歴史家や考古学者の間で議論となっており今後も、議論は続いていきそうですね。

ポルティコ

~ポルティコとは?~

イタリアの都市でよく見かけられる建築様式で、日本でいう雪国の雁木《ガンギ》(日本の雪国では雪よけのために家々の軒から庇《ヒサシ》を長く作り、下を通路としているもの)の様なもので天候が悪くても、歩行者が歩ける屋根をつけた構造になっています。

~大聖堂のポルティコ~

大聖堂への入り口にポルティコ(玄関廊)があります。そこから聖堂内に入る、「聖年の扉」「秘蹟の扉」「中央の扉」「善と悪の扉」「死の扉」の5つの扉があります。

こちらはマデルノが1612年に完成させたポルティコです。豪華絢爛なスタッコのヴォールトには、ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチ・ダ・ノバラがデザインしたピエトロの生涯の場面を描いた32個のレリーフパネルが嵌め込まれています。また壁際には、初期の教皇により聖人とされた31人の彫像が並んでいます。

アトリウム

~アトリウムとは?~

 
古代ローマの住宅建築で、入口の奥にある中庭風の広間のことで、屋根の中央部分に天窓があり石を敷いた床で、雨水を受ける為の水盤を中央に置いたローマの邸宅で、商談や接客に利用されていたと言われています。

ギリシャ神話では宮殿の水盤のある中庭をアトリウムと呼んでいて、ラテン語で古代ローマの玄関ホールの役割を果たした中庭を示すようになり、人々が集まる社交の場の役割だったのです。

初期キリスト教のバシリカ式教会堂の回廊では囲われた前庭と言い,現在の建物ですと一般的に広い玄関で吹き抜けのある開放的な空間をアトリウムと呼び、ギリシャ語では明るい・晴れたと言う意味があり「アトリエ」の語源はそこからきているそうです。

~サンピエトロ大聖堂のアトリウム~

天井や壁にあるレリーフ(浮き彫り細工)には黄金に輝く繊細な装飾が素晴らしいばかりに施され、そして一番有名なのがジェットの作品モザイク画である「イエスの小舟」で旧聖堂の前庭にあったもで、修復を受けた際に大きく改変されて今の場所にあるそうです。

聖年の扉

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この扉は1300年にボニファティウス8世が、25年に一度開かれる扉ということを始めて、本当なら25年ごと開かれるので、今度は2025年に解放されるとても貴重な場所であるそうですが、2015年12月8日~2016年11月20日までは「いつくしみ特別聖年」が開催されたことで扉が解放することもあり、2025年の解放まで待たなくても入れる、なんて事もあったりするんです。

この扉も含め4大聖堂の聖年の扉を全てくぐると、罪の償いが許されるとの言い伝えがあるそうです。

~ローマ4大聖堂の「聖年の扉」は、ここです~

・サンピエトロ大聖堂
・サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂
・サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
・サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

ローマ以外にも、日本国内であれば宮城県の仙台カテドラル記念教会や長崎の平戸ザビエル記念教会などがあり・海外と他にも聖年の扉があるそうなので、旅の途中で巡り合う事があれば訪れてみてください。

サンピエトロ大聖堂の「聖年の扉」の内側は通常、セメントのようなもので固められ壁の様になっていますが、聖なる年になると教皇自らが金槌で壁を壊し、また扉を閉じる時には逆に壁を塗り固めているそうです。

そして外側には、罪 ・赦し・人類の救済など 聖書の物語が外側のパネルには描かれいて、最後の右下に描かれているのは 、設置された 1949年の クリスマスにピウス12世(1939 ~ 1958年)が、「聖年の扉」 を開く場面が描かれていて素晴らしい作品も目にすることができます。

秘蹟の扉

ここは、通常の見学者の入り口となっている扉です。

中央の扉

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この中央扉は15世紀の彫刻家アントニオ・フィラレーテの作品で、フィラレーテの青銅の扉と言われています。サンピエトロ大聖堂(古代コンスタンティヌス教会)はルネサンス期に建て替えられましたが、このフィラレーテの青銅の扉だけは旧大聖堂にあったのがこちらに移されたのだそう。

扉にはイエス・キリストと聖母マリアそしてイエス・キリストの使徒であった聖ペテロと聖パウロとこの二人が処刑されるところの6つが彫刻されて、無くてはならない背景ですよね。

善と悪の扉

ここは、通常の見学者の出口となっている扉です。

死の扉

この扉を製作したのは、20世紀現代イタリアの3大巨匠と称されたジャコモ・マンズーという彫刻家で、少年時代から色々な職人の下で働いて技術を習得した努力家な方なんです。今では、このサンピエトロ大聖堂の「死の扉」の浮彫は有名な作品んです。

ここは聖堂内が込み合っている時は、この扉も出口として開くことがあるそうです。唯一、スロープがついている扉ばので車いすの方はここから出入りします。名前から、ちょっと怖くて通りにくそうですね!!

身廊

身廊とは入口から祭壇(教会堂の中では一番神聖・重要な部分)に向かう中央室内部までの位置をいいます。真ん中に通路があり、両脇に一般信者の座席が並び側廊(身廊の両脇に並ぶ室内部の所)より一段高い天井になっており、側廊との間はアーケードというアーチ状開口でつながっている建物のことです。

このサンピエトロ大聖堂の身廊の奥行きはなんと約186メートルあって高さ45・8mある、巨大な空間は開放感を味わえそうですね。そして身廊の交差部には、新約聖書の巻頭に収められたマタイ伝にある「あなたはペテロ。あなたに天国の鍵を授ける」とキリストがペテロに語った言葉が、ラテン語で書かれているそうです。

ピエタ礼拝堂

ここ「ピエタ礼拝堂」は、正式にはクロチフィッソ(磔刑像タッケイゾウ)礼拝堂というが、ミケランジェロの『ピエタ像』が安置されたことからこう呼ばれるようになったそうです。

ピエタ像

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~ミケランジェロの 思いがこもった作品~

ミケランジェロが24歳の時に2年かけて作り上げたピエタ像は、大理石の一枚岩を彫刻したものなんです。この像は、「十字架から降ろされたイエス・キリストの亡骸を胸に抱き、悲しみの表情を浮かべる聖母マリア」です。 ピエタとは、イタリア語で「哀れみ」「慈悲心」を意味しているそうで悲しみが、伝わってきますね・・・

他の芸術家の聖母マリア像は、失意に沈む年配の女性の表現が一般的だったのですがミケランジェロの場合、聖母マリア像のドレスの裾から爪先がわずかに覗いてることや、息子イエス・キリストよりも若々しく女々しい母親に見えることから非難されたそうですが、「原罪のない聖母マリアは歳をとらない」とミケランジェロは断言したと言われています。

そして、磔刑の傷跡は小さな釘の跡とわき腹の傷だけで足の傷はなくしているそうです。最初「ピエタの像」は、南翼廊近くのサン・ペトロニッラ礼拝堂のジャン・ド・ビレール枢機卿の墓の上にあったが、この礼拝堂の大聖堂再建計画により取り壊されることになった為、サンピエトロ大聖堂に移されました。

~ミケランジェロが残したもの~

「ピエタの像」が完成して間もなく、あれは二流彫刻家が創ったものだと噂がながれたのを聞いたミケランジェロが、夜中の教会に忍び込んで聖母マリア像の肩から胸に下がる飾り帯の部分に、ミケランジェロ自ら《フィレンツェの人ミケランジェロ・ブオナローティ作》と刻み込んだのである。

しかしミケランジェロはその事を後悔しその後の作品には一切、自らの署名を入れてないそうです。なので、この聖母マリア像のミケランジェロのサインは本当に貴重なものなんです!!

~あまりにも美しすぎて~

「ピエタの像」は、その後なんどか損傷しているのです。1736年には、この作品の美しさに正気を失った男が聖母マリアの左手の指が4本折られたが、修復されています。

1972年に発生したのは、「俺はイエス・キリストだ」と叫びながら鉄鎚(テッツイといって、大型のかなづち・ハンマーのこと)で聖母マリア像を叩き壊した事件がありました。その後、綿密に修復作業をして現在は防弾ガラスのパレルで保護されているので安全になりました。

聖セバティアヌス礼拝堂

サンピエトロ大聖堂にあるサン・セバスティアーノ礼拝堂には、モザイク画「聖セバスティアヌスの殉教」が展示されています。

~聖セバティアヌスとは?~

3世紀後半にローマの近衛兵の隊長をしていたのですが、当時の皇帝ディオクレティアヌスにキリスト教徒である事が知れ、多くの矢で射られ放置されたが聖女イレーヌの介抱により、健康な体に戻った。その後、皇帝ディオクレティアヌスに異教信仰を訴えに行ったが、殴り殺され人目を避けた場所に捨てられたそうです。

しかし、聖セバティアヌスは聖女イレーヌの前に幻影となって自分の体の場所を伝え埋葬してもらったという、悲しい話が残っています。そして、ペストの黒い斑点が矢が刺さった跡に似て、矢に射ぬかれても死ななかったことからペストの守護神となっているそうです。

聖ヨハネ・パウロ2世の墓

聖ヨハネ・パウロ2世(1978~2005)はまだ記憶に新しい教皇です。この教皇は1981年サンピエトロ広場でオープンカから民衆に手を振っているところ、トルコ人のアリ・アジャに銃撃されたのですが一命を取りとめ、その後アリ・アジャに会い許しを与えたという方なんです。

この聖ヨハネ・パウロ2世は敗血性ショックにより84歳の生涯を閉じたのち、サンピエトロ大聖堂の地下墓地に棺が納められたが、2011年サン・ピエトロ大聖堂サン・セバスティアーノ礼拝堂の祭壇に再埋葬され多くの信者が来て祈りを捧げます。

秘蹟の礼拝堂

ベルニーニのもとでサンピエトロ大聖堂の建築に携わっていたボッロミーニによって作られた、バロック様式の鉄門で仕切られた秘蹟(ヒセキ)の礼拝堂があります。ここは、イエス・キリストの聖餐(最後の晩餐)に捧げられた礼拝堂です。

この礼拝堂には、ベルニーニが作り上げたとても高価な小神殿の形をした櫃(ヒツ)があり、その両側には青銅鍍金(セイドウメッキ)で作られた天使像もあり、この作品もベルーニが創ったものです。

そして、その奥には大聖堂内に絵画のまま唯一残っている祭壇画である、ベルニーニ、ボッロミーニと並んで、ローマにおける主要な建築家の一人であった、ピエトロ・ダ・コルトーナが1669年に描いた「三位一体」があります。

この礼拝堂の、見どころは丸天井と壁にあるピエトロ・ダ・コルトーナによる、聖餐(最後の晩餐)に関するエピソードを表した素晴らしいスタッコ装飾です。

聖ペテロ像

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このペテロのブロンズ像は世界中のキリスト教徒達がきて、祈りを捧げペテロの像に口づけをしたり、ペテロの像の足をなでると健康になるとの言い伝えで、皆がなでたりする事で次第にペテロの像の足がすり減ってしまっているそうです。
訪れたなら、健康を祈り触ってみたいですね。

聖堂の中

このサンピエトロ大聖堂の中心の4つの柱には、聖遺物のロンギヌスの槍の穂・聖女ヘレナの聖十字架の断片・聖ヴェロニカの布・聖アンデレの頭部を安置する祭壇を設けいて、その下に縁の人物像を配しました。

すべてに素晴らしいものにかこまれた、この場所にはまだ心を奪われる物がたくさんあります。古き時代で作り上げてきた物には、思いがたくさん込められています。まだまだある、サンピエトロ大聖堂をみて行きましょう。

ミケランジェロ作のクーポラ

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~クーポラ(ドーム)~

屋根上部に突出した屋根より小さい構造物で、高さが必要で荘厳な空間が形成される事から宗教建築で用いられるようになりました。日本では、丸屋根(マルヤネ)や丸天井(マルテンジョウ)とも言われています。

このクーポラの高さは約138mあり直径は約43mといわれ、円形の内面には装飾された黄金の聖人モザイクがあり、天気の良い日だと太陽の光が差し込まれ神秘的な光景に浸れそうですね。

~クーポラ(ドーム)から見る風景~

このクーポラには登る事ができるんです!!展望台にあがるとバチカンとローマの町を一望でき、内面の黄金の聖人モザイクも見れる場所なんです。なんとも素晴らしい風景なんでしょうね。

ゴールデンタイムには混雑することもあるそうなんですが、例えば朝一番とか夕方の時間帯で行ってみるとすんなり入れる・・・なんてこともあるそうです。

料金は、エレベーターで途中まで行くには7ユーロ(しかし、エレベーターおりて320段の階段はあります)、階段(551段あります)で歩いて登るには5ユーロになり現金のみの支払いだそうです。掲示板には「お年寄りや慢性病をお持ちの方、心臓病の方は注意して下さい」と表示があるので体力に自信がある方はチャレンジしてみて下さい。

~悔やまれますね~

ここはミケランジェロはが亡くなった後に完成されたそうなんです。なのでミケランジェロは、このクーポラの完成したのを見られなかったのです。さぞかし、見たかったでしょう。

ペルニーニ作のパルダッキーノ

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~大天蓋(オオテンガイ)~

そしてクーポラ(ドーム)のましたにあるのはパルダッキーノ大天蓋(オオテンガイ)です。キリスト教では,大きな聖堂の祭壇の上や祭式用の高位聖職者の座席の上,特定の人の墓上などに天井からつるしたり,柱で支えたりする傘を大天蓋(オオテンガイ)と呼んでいるそうです。高さ29m、重量93tあり、あまりの大きさに圧倒されます。

~ベルニーニの一番の見どころ~

大聖堂内部の十字交差部の中央に、ベルニーニの作品である巨大なブロンズ製の大天蓋(バルダッキーノ)があります。学問と芸術の守護者でもあった教皇ウルバヌス8世により依頼されたベルニーニは、1624年から制作を開始し1633年に完成させた作品であります。

ねじれた柱を使用したブロンズ製の円柱は他者からの提案されたものを導入したと言われていますが、その他の設計はベルニーニ自身で考えたものになるそうです。

大天蓋(バルダッキーノ)の、あらゆる所に教皇ウルバヌスの紋章である蜂が、金で刻まれているのも見逃せませんね。

聖ペテロの司教座

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~「聖ペテロの司教座」~

この作品は1656年~1666年にベルニーニによって制作され、バロック芸術の傑作といわれた。彫刻的な性格をもった建築装置で、絵画・彫刻・建築の特質を融合して作り上げた「総合舞台芸術」とも言われています。

~4人の教会大博士~

「聖ペテロの司教座」には、緊迫張りの浮き彫りのあるブロンズの王座の周りには、聖アウグスティヌス、聖アンブロシウス、聖アタナシウス、聖ヨアンネス・クリュソストモスの4人の教会大博士の大きなブロンズ像があります。神学を築いた博士達によって支えられています。

~素晴らしい装飾~

教皇だけが腰を掛けることが出来るこの「聖ペテロの司教座」は、黄金の装飾と王座の上部に無数の天使たちと雲と光の渦の中にステンドグラスの光によって浮かび上がる聖霊の鳩がいます。台座はフランス製の黒と白の大理石で作られ、右側は工事を始めたパウルス3世で左側は完成させた教皇ウルバヌス8世彫刻があります。

司教座は天に浮いているかのように見えて、不思議な感覚になるそうです。

サクラメント礼拝堂での祈り

カーテンで閉じられているサクラメント礼拝堂があるのですが、静かにお祈りするだけなら観光客でも入れるそうです。
ちょっと勇気がいりますが、滅多にないことなので中に入り雰囲気を味わってみてはいかがですか?

歴を作った 教皇グレゴリウス13世の墓碑

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1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が、毎年暦が少しづつズレて累積して10日もズレが生じていたユリウス暦(太陽年との誤差を修正する前の暦法)を改良して制定したグレゴリオ暦(グレゴリオレキ)は、太陽暦として世界各国で用いられているもので、その「グレゴリオ暦」を採用した教皇グレゴリウス13世の墓碑があります。

今ある、365日とうるう年が出来たのはこの、教皇グレゴリウス13世のおかげなんですね。

厳粛な聖ヨセフの祭壇

天蓋の左手、左翼廊には聖ヨセフの祭壇があり、このエリアもロープで囲われています。ここはミサの時間帯(平日9、10、11、12時、休日・祝日13時)以外は静かに祈りを捧げる人のためのスペース。見学に疲れて椅子に座りたいときなど、係員に声をかけて中に入ることはできます。

祈りの場所ですから、もちろん写真撮影は禁止、ガイドブックを読んだり、スマホを見たりすることもできません。中に入る方は、まわりの信者の邪魔にならないよう、しばし静かな時間をもってみてください

変容の祭壇

変容の祭壇の下には高徳の聖職者として知られる、ローマ教皇(在位:1676年 – 1689年)福者インノケンティウス11世の墓があります。

遺作となった作品 キリストの変容

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~遺作~

ルネッサンス三代巨匠の一人であり、ご存知の方も多い聖母像で有名なラファエロが1518年~1520年にかけて制作した「キリストの変容」は、板に油彩で描かれた作品で遺作(最後の作品)となったものです。

この作品は、ナルポンヌ大聖堂の祭壇に掲げる予定で依頼されたものだったが完成後、実際に置かれたのはサンピエトロ大聖堂だったのです。

~聖書の物語が作品となっています~

イエス・キリストが弟子を率いて、ガリラヤのタボール山に登り丘の上に立ったイエス・キリストの身体が輝き上空に浮かびだし、脇からは旧聖書に出てくる人物であるモーセとエリヤが現れ「これは我が子(神の子)なり」と告げられ、それを目の当たりにした弟子がイエス・キリストの変容に驚き、聖ペテロ・聖ヤコブ・聖ヨハネが地上にひれ伏す場面と、作品の下の部分では悪魔に取りつかれた少年の治癒物語の2場面構成となっている作品なのです。

~今なお残されています~

現在このタボール山は、 イエスの姿が変貌したことから別名を「変貌山」とも言われ、頂上付近にはフランシスコ派の教会とギリシャ正教の教会が建てられおり、頂上一帯は国立公園として指定されているそうです。イエス・キリストが育ったとされるナザレはタボール山から東へ数キロのところにあります。

宝物殿

大聖堂の南側回廊(礼拝堂)の途中に宝物館へ行く通路があり、ここには長い歴史をかけて収集した美術品が展示してあります。

~歴史的価値を待つ美術品~

ここに展示されているものは、教皇庁ならではの、歴史的な宗教的宝物が中心。金銀で作られ宝石で彩られた儀式用具など、目がくらみそうな眩さの品々があり、歴史的に有名な人物からの寄進の品も多く展示されているそうです。

そして、ベルニーニの「天使の像」原型が間近で見られるので、巨匠の作品を隅々までご覧いただける貴重な場所だと思います。

~宝物殿の観覧するにあたって~

その次は、長い歴史をかけて収集された美術品が展示されている宝物殿の入口があります。営業時間は8:00~ (閉館はシーズンなどで変更があるようなので、事前に調べた方がいいそうです)入場料7ユーロ、日本語オーディオガイドは3ユーロです。
内部は撮影禁止です。

無原罪の御宿り

ピエトロ・ペルジーノの作品「無原罪の御宿り」です。合唱隊の礼拝堂に展示されてますが、鉄柵 があるので中に入って見る事は出来ないそうです。

「聖母は、神の恵みにより初めから原罪の汚れを一切受けていなかった」とすると、カトリック教会の教義を1854年に正式に宣言したそうで、その時に絵に王冠が加えられ裕福な女性達から成る国際委員会が、9つのダイヤモンドで作られた(星★)を寄贈したのも作品にみられます。

しかしこの作品は、合唱隊の礼拝堂に展示されていて鉄柵 があるので、中に入って見る事は出来ないそうでが柵の間からの撮影は出来るそうです。

洗礼礼拝堂

出口付近にある洗礼礼拝堂で祭壇画が展示されてます。

キリストの洗礼

カルロ・マラッタの作品で「キリストの洗礼」です。イエス・キリストがヨルダン河にやってきて洗礼者ヨハネから洗礼を受けている場面を描いたもので、天が開けてイエスこそ自分の子であると声が聞こえたというイエス・キリストの障害における重要な出来事の一つとされています。

「キリストの洗礼」は新約聖書の重要なポジションに位置するもので礼拝堂には、欠かすことのできない祭壇画とされているそうです。

一生に一度は行きたい場所

このサンピエトロ大聖堂にきた観光客は、「スタンダール症候群」という病気になったそうです。それはこの大聖堂には、トラヴェルティーノ像165体・ストゥッコ像125体・大理石彫像が110体ブロンズ像40体があると、1975年にガラッシ・パルッツィが著した本には記されていて、ひとつひとつが大作揃いで祭壇画はほとんどがモザイクの複製画に取り換えられているそうですが、これも膨大な数になります。

そして聖堂内にある歴代教皇の墓は147基あり、見てまわろうとする脅迫観念によって、観光を楽しむ余裕を奪って頭痛などの症状を発したということです。

それだけ、この場所にはたくさんの素晴らしいものがあるのです。心やすらげる空間で素晴らしいもの見て感動して、この場所にきてよかったと思える、そんな場所がここバチカン市国なのかもしれませんよ。

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