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観光をより魅力的に!古代遺跡「ティオティワカン」の謎と歴史を紹介

メキシコには、マヤ文明の古代遺跡が沢山あることで有名ですが、「神々の都市」とも呼ばれる「ティオティワカン」はその中でも圧巻の古代遺跡で、またある意味では様々な面で異色を放っているのも特徴的です。

ここでは、そんな「ティオティワカン」の魅力に迫るために、その歴史的な謎に迫ってみたいと思います。

この広大な都市の成り立ちや、魅力を知って現地に訪れた際には、目の前にした時の感動もまた一味違うのではないでしょうか。

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神が建てた都市「ティオティワカン」の特徴や歴史的魅力

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「ティオティワカン」の場所や大きさは?

メキシコシティから北東へ50キロの地点にある「ティオティワカン」は、メキシコでは広大な古代都市が残っている場所として有名です。数々の広大な古代遺跡を残すメキシコでも最大の広さを誇る遺跡となっています。

都市の広さは20㎢と言われ、その当時20万人が暮らしていたのではと言われる程の、当時としては巨大な都市です。

「ティオティワカン」は「メソアメリカ」の中心都市として言われており、その「メソアメリカ」とは、メキシコ及び中央アメリカ北西部の農耕民文化を持った民族で、マヤやアステカなどの文明が繁栄した地域のことを指しています。

「ティオティワカン」の歴史

この巨大都市は紀元前から栄え、紀元前2世紀~6世紀に一番繁栄し、8世紀には滅亡したと言われています。実は衰退した歴史などもはっきりした理由はわかっておらず、大火災や戦争、宗教的儀式が原因といったように様々な推測を呼んでいます。

全盛期20万人も住んでいたということで、その栄華は人口の集中に伴って下水道などの処理能力を超えてしまったり干ばつなども起こるようになり、治安の悪化などもあって衰退して滅びていったとも一説には言われています。

しかしながらこれ程の大きな文明を築いたティオティワカンの人々が痕跡をほとんど残さず滅亡したというのは未だ謎であり、解明されていません。

「ティオティワカン」の名前の由来や特徴

現在は「ティオティワカン」という名前で呼ばれているこの地ですが、実はこの地名は、後で付けられた地名で、当時はなんと呼ばれていたのかもわからなかったと言われています。

のちにこの地を見つけたアステカ人がアステカ語の「神の地」という言葉から付けた地名が「ティオティワカン」となったということです。

この「ティオティワカン」を見つけたアステカ人がその巨大さに驚き、「神が建てた都市」と言ったことに由来しています。そして、その後も崇拝の対象の場所となってきたのがこの壮大な都市です。

その巨大さと考え尽された都市づくりに神が造ったと思えるほど人々は驚愕し、その後も崇拝されてきているのです。そして、現代人の私達でさえ今も何度行ってもその巨大さに誰もが驚きを覚える遺跡となっています。

この遺跡の建物は、「タルー」という斜面のある壁と「タブレロ」という平坦な基壇を組み合わせた「タルー・タブレロ」という建築様式でピラミッドが造られています。このような複雑な様式のピラミッドはティオティワカン以前にはないと言われています。

更に、ピラミッド建築当初は漆喰で彩色もされていたのではと言われており、ティオティワカン遺跡内にある宮殿の華やかな彩色壁画からも想像がつくように、ピラミッドも当時はとても美しかったのだろうと推測できます。

歴史とともに衰退した建物ですが、貴重な形できれいに残されているこの都市遺跡はその大きさゆえに未だに人を魅了してやまないものとなっており、それ故に観光客は途絶えません。

「ティオティワカン」の2つの不思議

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しかし、この古代都市遺跡にはわかっていないことも多く、実はどんな種族が住んでいたのかということもあまりわかっておらず、様々な面において他の遺跡との特異性が多く見られます。そもそも文字を持たない文化であり、紀元前の古代都市ゆえに沢山の謎が残されています。

都市形成期間が短い

謎の1つに、巨大都市が作れた期間があまりにも短いということが挙げられます。

他の広大な古代遺跡が千年を超す年月で時間をかけて造られたのに対し、紀元前2世紀~6世紀の短い年月で繁栄した「ティオティワカン」は、比較的短い期間でこの巨大な都市を誕生させたと思われている点が実に不思議です。

様々な仕掛けのある都市構造

「ティオティワカン」の都市の全貌を見ると「死者の道」と呼ばれる長さ4 km、幅45 mの道がまっすぐ南北を通り、都市の中央に造られていて、その左右に神殿や「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」が対称的に造られています。

これは明らかに都市を造るにあたって独自の宇宙観と宗教観によって彩られたものだと言えます。緻密な都市計画が最初にあったと確実に考えられるのではないでしょうか。

この「太陽のピラミッド」は夏至の日に太陽が正面に沈むように造られていて、そのために死者の大通りは真北から東に少しずらして計算された上で造られています。

また、遺跡の中を流れる「サンファン川」も流れを変えて引かれているそうです。様々な計画や意味を持った上で造られたこの古代遺跡が紀元前につくられたのかと思うと不思議で仕方ありません。

中央の「死者の道」を行き来しながら両端の壮大な「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」に登ることができ、このピラミッドからパワーをもらうことができます。

実際にピラミッドに登ることで、昔の人達が得ていたのではないかと思われるパワーを同じく感じることができます。ここで生きていた人たちの世界観を一緒に感じとることができる古代遺跡と言えます。

また、この都市には王や貴族、神官だけでなく階層はあったにせよ農民や商人などの一般の人々も一緒に住んでいたことも一つの特徴と言われています。巨大都市が意味するものはそういった様々な階層の多くの人達が住んでいたということも意味するものと言えます。

 

「ティオティワカン」の魅力とピラミッドからのパワー

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この広大な敷地には、世界三大ピラミッドと呼ばれる「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」があり、「死者の道」や「ジャガーの神殿」「ケツァルパパトルの宮殿」、博物館や彫刻園などもあります。

見るべきものがいっぱいで、都市計画の中でなぜこのようなものが建てられたのか、その役割を考えるとますます魅力を感じることができると思います。

また、ここの「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」の両方のピラミッドには登れますので、ピラミッドから実際にパワーをもらおうことができるのも最大の魅力です。

ちょっと高くて怖い感じもしますが、ピラミッドに登ってその頂上からこの広大な古代都市を見る事ができた時には何よりもの感動を感じます。「太陽のピラミッド」はもちろん上に登り、太陽の光を浴びた時にその大きなパワーを感じることがものです。

まとめ

実際にこの場所を訪れたならば、ガイドさんを付けるなどして詳しくそれぞれの遺跡を紹介してもらうことをおすすめします。一つ一つの遺跡がどんな意味合いを持ち、存在していたのかについて思いを馳せてみるのがおすすめです。

わからないことが多く、不思議な要素も一杯の「ティオティワカン」の古代都市遺跡ですが、それだけにこの広大さと多くの建造物には惹かれるものが多い場所です。

当時の宇宙感や宗教観にも触れる思いで偉大なる古代都市遺跡に出掛けてみませんか。

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